【石橋高校(栃木県)】偏差値や進学実績だけじゃないその魅力とは?

栃木県

栃木県の公立高校には男子校女子校が比較的多いです。

👉というか北関東くらいにしかもう存在していないらしいです。

100年前だと男女共学なんてけしからん!みたいな感じだったのだろうから、人間は100年もあれば大分変わるのですね。

男女共同参画社会ということで時代は変化していますが、もうここまで来たら栃木県の一つの特色ですね。伝統を継承するという点で、男子校・女子校のままでいてほしいなと個人的には思います。

それに女子校は共学化すると名前も変更せざるを得なくなりますからね。

その地域のトップの進学校は大体男子校・女子校の場合が多いので、上位を狙うとなると男子校・女子校になってしまうこともあります。

ネコ
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そんな中、進学校として頑張っている男女共学の高校もあります。

今回は栃木県立石橋高等学校をご紹介いたします💁‍♂️

石橋高校の基本情報

住所  栃木県下野市石橋845

偏差値 66

石橋高校は栃木県下野市にある公立高校です。下野市は2006年に石橋町や南河内町、国分寺町が合併してできた市です。石橋高校の名前は石橋町に由来します。

最寄り駅のJR石橋駅から徒歩10~15分くらいとなっています。

ペンギン
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アクセスの良さは大事だね!

2021年では石橋高校の偏差値は66となっています。公立高校としては栃木県内で5番目の高校です。国公立大学へ進学する生徒さんも多いようです。

国公立大学については、現浪合わせて126名の合格者が出ました。現役の国公立大学合格者は122名ですが、この3月に卒業した生徒が230名なので、半数以上が国公立大学に合格したことになります。

令和3年度大学入試結果(石橋高校HP)

国公立大学の進学状況を見ると、一番合格者が多いのは地元の宇都宮大学です。だいたい毎年20名前後が合格していました。

石橋高校誕生の背景

ネコ
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石橋高校の歴史は大正時代までさかのぼります。

当時はこんな問題が起こっていました

👉大正時代、中等学校(中学校や高等女学校など)への進学希望者が増えていきましたが、栃木県内では中等学校はまだまだ不足していたようです。

ざっくりとですが当時の中学校は12歳の男子が5年間、高等女学校は12歳の女子が4~5年間通う学校でした。現在の中1~高2くらいですかね。

1912年(大正元年)の栃木県の状況

中学校 7校、高等女学校7校、実業学校11校

ネコ
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学校自体が少ないので、1921年(大正10年)くらいになると、入学希望者の半分くらいしか入学できない状況になっていたそうだよ。

ペンギン
ペンギン

学びたいのに学校が少ないから、入学できない生徒が多かったんだね。

ネコ
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だから石橋町やその周辺の町村では「石橋中学校」を作ろうという団体も結成されたんだ。

1922年(大正11年)、この団体は県知事や議員へ向けて、石橋町に新しい中学校を作ってほしいという手紙を提出していました。石橋駅から宇都宮市栃木市まで通う生徒が100名はおり、通学距離が長くて不便な状況であることが書かれています。渡し船で真岡市まで行っていた人もいるとか。

栃木県内には7つの中学校が宇都宮、栃木、真岡、佐野、大田原、足利、烏山にありました。石橋町の生徒が徒歩や自転車で通える距離にはありません。

青は中学校があった地域
ペンギン
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切実な問題だね・・・。

ネコ
ネコ

しかし思いが県に届いたのか、学校を建てる土地と建設費のうち10万円を地元が負担すれば、学校を建設してくれることになったんだ。

ペンギン
ペンギン

おお👏

土地やお金は用意できたのかな?

石橋町長たちは周辺の町村へ資金協力を依頼しました。その結果、5万円を石橋町が、残りの5万円は周辺町村が出すことになりました。

この時周辺の2町11村がお金を分担して負担したそうです。雀宮村(現宇都宮市)、壬生町、上三川町、桑村(現小山市)など現在の下野市以外のさまざまな地域からも協力がありました。

こうして地元の念願が叶い1924年(大正13年)に栃木県立石橋中学校が誕生したのです。

旧制中学から新制高校へ

ペンギン
ペンギン

地元の願いが叶ったのね😭

ネコ
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そうだね。学校全体で定員は男子500名だったそうだよ。入学定員は100名。最初は校舎も校庭もできていなかったので小学校を間借りしていたそうです。

校訓は「爾の立てるところを深く掘れ」・正道忠信・質実剛健・公正自治だそうです。

学校は完成しましたが、しばらくして戦争が始まり田植えや米麦刈りなどの他、軍事工場に動員されることもあったそうです。生徒全員が再び学業に戻ったのは、戦争が終わった1945年(昭和20年)10月とのこと。

石橋高校HPによると学校には最近まで、当時軍事訓練に使用していた武器を保管する兵器庫があったようです。

大正15年に軍事教練のための銃器格納庫として建てられた兵器庫(現在は倉庫として利用してきました)を急遽解体いたしました。旧制中学校以来親しまれてきた建物が、本年度末には老朽化により解体の運びとなっておりましたが、11日(金)の東日本大震災により急いで解体することに致しました。

兵器庫解体のお知らせ(石橋高校HP) 2011年記事より
兵器庫(出典 石橋高校HP)

戦争は学校にまで入り込んでしまっていたのですね。

ネコ
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その後、戦争が終わり1948年(昭和23年)石橋中学校は栃木県立石橋高等学校となりました。次の年には男女共学校になったようだよ。

記録によると、石橋中学校を卒業した石橋町の生徒は197名とのことでした。

石橋町周辺の町村からもたくさんの卒業生がいました。

まとめ

石橋高校(石橋中学校)は栃木県南部の生徒さんたちへ学びの場を提供する大切な学校として、多くの人たちの念願の学校でもあったことがわかりました。

戦前の中学校は現代の中学校とは別物なので、旧制中学校と呼ぶこともあります。

現在もともと旧制中学校だった栃木県の高校は男子校が多いですが、石橋高校は戦後すぐに男女共学校になっています。

今後も男女共学の進学校を志望する生徒の受け皿になっていくことでしょう。

参考資料 『石橋町史 通史編』(平成3年発行)

ネコ
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もっと石橋高校について知りたくなったら、こちらのサイトもご覧になってください😆

栃木県立石橋高等学校HP

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