【黒磯高校(栃木県)】徹底解説!黒磯方面には家政の心があった?

栃木県

「黒磯」・・・

JR宇都宮線を利用している方は見た事があるかもしれません。

栃木県北部にある那須塩原市には黒磯という地域があります。

栃木県の北の方にありますね。もう少しで福島県です。

宇都宮線は東京駅~黒磯駅までは結ぶようですよ(あまり電車には詳しくないので間違っていたらすみません)。

👉とはいえ宇都宮駅までしか行ってくれない場合も多いですが・・・

黒磯駅

現在黒磯は那須塩原市の中のひとつの地域となっていますが、その昔は黒磯自体がひとつの独立した町でした。

1912年にもともとあった東那須野村という村の一部が分立してできたのが黒磯町です。

その後は、

  • 1970年に黒磯町→黒磯市へ
  • 2005年黒磯市→那須塩原市へ

黒磯はこのような変化をしてきました。

ねこ
ねこ

黒磯の魅力も知りたいところだけど、ここは地域の学校を紹介するサイトなので、黒磯の学校を紹介するよ。

ぺんぎん
ぺんぎん

黒磯駅から徒歩10分くらいのところに栃木県立黒磯高校があるよ(地図をパラパラ)

ねこ
ねこ

そうだね👉

今回は黒磯高校を見ていこう!

栃木県立黒磯高等学校

黒磯高校は那須塩原市にある公立高校で、設置学科は普通科のみです。

高校のホームページによると、1学年約200名であり、男子の方が少し多いようです(令和2年現在)。

地図を見ると一目瞭然ですが、東に黒磯小学校、西に黒磯中学校が隣接しています。

ぺんぎん
ぺんぎん

黒磯小→黒磯中→黒磯高という人も多いのかしら?

流石に黒磯中学校の進学情報までは手に入りませんでした😥

偏差値2021年度版によると黒磯高校の偏差値は54となっています。

ここ近年は毎年30名ほどが国公立大学に合格しているようです。

1学年200名ほどの生徒がいるので、割合としては多くありません。

黒磯高校の始まり

ぺんぎん
ぺんぎん

学校のホームページを見ているんだけど、黒磯高校の創立は大正14年らしいね。

大正14年って西暦何年・・・?

ねこ
ねこ

1925年だよ。

最初は黒磯町立実践女学校として開校したそうだね。

基本的に裁縫手芸を学ぶ学校だったようです。

開校した1925年頃は女子教育の必要性が高まっていましたが、知識ばかりの教育にならずに日常生活や勤労にも即した教育を行うということで設立されたようです。

ぺんぎん
ぺんぎん

黒磯高校の始まりは、女子生徒のために黒磯町が建てた学校だったというわけだね!

開校時は、校長先生含め職員は9名、生徒は63名だったそうです。

初めは前にあった黒磯裁縫補習学校を仮校舎にしていました。校舎が完成したのは翌年のこと。先生たちもこの補習学校の人たちだったようです。

ぺんぎん
ぺんぎん

こうして歴史が始まったんだね。

ねこ
ねこ

だけど時代は関東大震災や世界恐慌などで不況だったから、1936年(昭和11年)くらいには廃校の話も出ていたそうだよ。

でもなんとか関係者が入学希望者をたくさん集めたことで廃校の話は消えていったんだって。

ぺんぎん
ぺんぎん

そうなんだ・・・。危なかったね😥

町立学校から県立学校へ

黒磯にある古い建物「高木会館」(旧黒磯銀行本店 1918年開業) 現在1階はレストランです
ねこ
ねこ

学校が開校した3年後の1928年には、栃木県黒磯実践女学校へと学校名が変更になったよ。

ぺんぎん
ぺんぎん

「栃木県」黒磯実践女学校ということは県立学校になったのかな?

ねこ
ねこ

どうやらそういうわけでもないらしいよ。下の図を見てみて。

 昭和 23年 3月学制改革により、黒磯高等学校に昇格(町立)
        24年 3月設立組織変更(2町5か村の組合立)
        25年 4月県立移管
        26年 4月栃木県立黒磯高等学校に校名変更
黒磯高校ホームページより

1945年(昭和20年)太平洋戦争が終了し、その後に学制改革が行われました。1948年(昭和23年)に黒磯実践女学校は新制黒磯高等学校になりましたが、県立学校になったのは1950年(昭和25年)であることがわかります。

ねこ
ねこ

県立学校になるのは1950年なんだよ。

ぺんぎん
ぺんぎん

1925年の開校から25年くらいの間は黒磯町が運営していたんだね。

ところで図の「昭和24年3月 設立組合変更(2町5か村の組合立)」って何? 

1948年(昭和23年)に新制高校となったが、学校の運営は黒磯町だけでは難しいこともあったそう。

黒磯町だけではいろいろな面で困難であるため、2町5か村(黒磯町、芦野町、那須村、東那須野村、鍋掛村、高林村、伊王野村)の組合立による男女共学校として県の認可を受け、初めて男子生徒が入学した。

「90年誌」2015 栃木県立黒磯高等学校
ぺんぎん
ぺんぎん

どうやら同窓会関係者の方のお話によると、新制高校になるためには校舎の増築や備品の拡充が求められていたそうです。

黒磯町だけでは難しいので、近隣の町や村が組合を作って、その組合が学校を運営することにしたんだ。県にもそういう運営の仕方は認められていたんだね。

ぺんぎん
ぺんぎん

なるほど。

周りの町村が協力していたのか~

そして翌年には県立高校になったんだね。

これは戦争が終わってすぐのこと。経済的にも大変な時代だったはずですが、黒磯高等学校はたくさんの人たちに大切にされ、支えられていたことがわかりますね。

その後

もともと実践女子校であったこともあり学校創立以降家政科が存在していましたが、1997年(平成9年)には募集が終了します。73年間たくさんの生徒を送り出した家政科の閉科式典には実践女子校時代も含めて約300人の卒業生が出席したそうです。

家政科閉科記念碑には次の言葉が刻まれています。

「実践の軌 家政の心永遠に」

普段は県立だとか市立(町立)だとかあまり意識しませんが、今回そこに注目してみたところ黒磯高校が多くの人たちに支えられていたことがわかりました。

今回はここまでになります。ご覧いただきありがとうございました。

参考資料:「60年誌」・「90年誌」 栃木県立黒磯高等学校

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