福島県にも昔は県立の男子高校や女子高校があったの知っている?
そうなの?
今の県立高校は全部男女共学だけど。
第二次世界大戦後の学制改革により、教育は「6・3・3・4制」(小学校6年、中学校3年、高等学校3年、大学4年)となりました。
この時、新しく誕生した「新制」高校は他の都道府県では男女共学が一般的でしたが、福島県では共学化が徹底されていませんでした。
福島県の県立高校が全て男女共学になるのは2003年のことです。
2003年に男女共学化
- 福島高校
- 福島女子高校(現:橘高校)
- 相馬高校
- 相馬女子高校(現:相馬東高校)
最近までは男女別学の県立高校もあったんだね。
なぜ新制高校ができた時、共学ではない高校も生まれたんだろう。
そうだね。
伝統校を中心に男女別学が長らく続いたんだ。
今回はそれについて調査したので見ていきましょう。
新制高校の誕生
学制改革により1948年に新制高校が誕生しました。資料によると、福島県には普通科のある県立高校が32校誕生したそうです。
全校が男女別学だったの?
いやそんなことないよ。
男子校9校、女子校13校、共学校10校だよ。
しかし当時の福島県には福島市と郡山市、若松市と平市の4つの市がありましたが、都市部にある普通科高校は全て男女別学でした。旧制中学が男子高校、旧制高等女学校が女子高校になったそうです。
共学化するかしないかは学校や地域によって違かったんだね。
実はなぜ全ての高校が男女共学にならなかったのかについて、はっきりしたことは分かっていないそうだよ。
研究者の間では、当時福島県を担当したGHQ(連合国最高司令官総司令部)の教育担当者が他の県よりも厳しくなかったという説や、同じ地域に男子校と女子校を設置することができたので、教育を受ける機会は男女平等にすることができたからという説などがあるそうです。
まあ昔のことだし分からないこともあるよね。
少しだけ共学?になった時期がある
結局その後は長らく男女別学の高校もあったんだね。
でもちょっとだけ男女共学になった男子校もあるよ。
ちょっとだけとは・・・?
9校の男子校のうち、1950年に安達高校が安達女子高校と統合し共学校になりました。
残る8校のうち7校も1950年または1951年から女子の入学を受け入れました。
女子の入学が許可された7校
- 福島高校
- 会津高校
- 磐城高校
- 相馬高校
- 白河高校
- 喜多方高校
- 双葉高校
あれ?
じゃあ男子校はあと1校だけになったの?
この時はね。
喜多方高校と双葉高校以外の5校は、1955年から女子の受け入れを辞めたんだよ。
またこれらの高校へ入学した女子生徒は、各校おおむね毎年10人もいないような状況だったそうです。
なるほど。
ちょっとだけとはそういうことだったんだね。
なぜまた男子校へ戻ったのか?
共学になるのかと思いきや、また男子校に戻ったのね。
なぜ女子の入学が停止されたのかもはっきりとした理由は定かではないです。
いくつかの高校の歴史資料では、学習指導要領の改訂により1956年から女子は「家庭科」の授業を受けることが望ましいということになり、家庭科の授業ができる先生も設備もなかったことが女子の募集停止の理由として挙げられています。
家庭科の先生を雇うとかはできなかったのかな?
本当のところはどうなのか分かりません。
男女共学への批判や、数人の女子生徒のためにあまりお金をかけられなかったなども理由にあるかもしれませんね。
まとめ
戦後の学制改革で他都道府県には多くの男女共学校が誕生しましたが、福島県では戦前の旧制中学や旧制高等女学校を継承する形で男子校、女子校が長らく続くことになったと分かりました。しかし意外にも男子校が女子を受け入れていた時期も、短期間ではありますが存在していました。
ちなみに女子校への男子入学が認められたケースは見当たりませんでした。また女子の入学がしばらくの間認められていた高校は普通科高校ばかりであることから、大学進学を目指す女子が進学実績のある普通科男子高校へ進学できるようにしようと模索した結果なのではないかという興味深い意見もありました。
今後は2003年までに完了した全校共学化への道のりについても調査してみたいと考えています。
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